
加賀の城下から十八里(≒70.2km)のところに、
越中立山の麓があり、
旅人を泊める宿が20軒ほど並んでいる。
そこでは怪しい事が多く起きるそうで、
夜中に小屋が震動する事も珍しくない。
人々は、それを天狗の仕業として、
みんなで一心不乱に念仏を唱えるらしい。
(津村淙庵『譚海』より
「越中国立山の事」一部抜粋)
*
日光山は、天狗が住む恐ろしい場所である。
1人の浪人が、山中の寺に滞留していた。
ある晩、人々が集まって碁を打っていたが、
この浪人、連戦連勝に驕(おご)り高ぶり、
「俺より強い奴は、いないと見える」
それを、側にいた僧侶が聞いて、
「この寺で、さような事は言わぬがよい。
ここには鼻が高い人がいて、
ともすれば、ひどい目に遭わされる――」
と言った言葉に合わせるように、
明かり障子を隔てた庭から、しわがれた声で、
「ここでしっかり聞いておるぞ」
とたんに浪人の顔色が真っ青になり、
無言で碁盤を押しのけて布団に入ると、
翌朝、日が昇る前に下山して、
逃げるように去って行ったそうな。
(津村淙庵『譚海』より
「下野山日光山房にて碁を自慢せし人の事」)
*
※どこにも『天狗』とは書かれていませんが、
遠くへ見物に連れて行く話なので……
江戸白銀にある瑞聖寺で、
長いこと下働きをしている七助が、
ある朝、飯炊きの最中に、
ふと行方をくらませてしまった。
その6年後、七助が消えたのと同じ日に、
寺の門前で人々が騒いでいるのを聞いて、
寺僧らが外に出たところ、
高い空から黒雲のような物が、
地上に向かって落ちて来るではないか。
やがて瑞聖寺の庭に落ちた物を見れば、
それは大きな蓮の葉で、
中で何かが蠢(うごめ)いている。
そこで人々が開いてみると、
茫然となった七助が出て来た。
それから2日ほど経って、
ようやく正気を取り戻した七助に、
「一体どこに行っていたのだ?」
「あの日、1人のお坊様がいらっしゃって、
私を天竺へ連れて行くとおっしゃいました。
それから一緒に空を歩くように旅をして、
ある場所に着いたのですが、
姿も言葉も日本人とは全く違いました。
そんな時、どこかが火事だと言って、
ずいぶん騒がしくなったのですが、
お坊様は蓮の葉を示されて、
その中に入るように言われました。
そこで言う通りに致しますと、
お坊様は私を蓮の葉で包んで持ち上げ、
そのまま投げ捨てられました。
覚えているのは、そこまでで、
後の事は全く分かりません」
その蓮は天竺の物なのだろう。
八畳敷ほどの大きさで、現在も寺にあり、
虫干しの際には一般人も見る事が出来る。
この話を聞かせてくれた人も、
その時に実物を目の当たりにしたという。
また七助は、その8年ほど後、
瑞聖寺において、72年の生涯を終えたそうな。
(津村淙庵『譚海』より
「江戸白銀瑞聖寺什物天竺蓮葉の事」)
*
江戸神田明神近くの寺の住持だった、
覚樹王院権僧正が若かりし頃、
比叡山などで修行をしていたが、
少し慢心を起こした途端、天狗に掴み上げられ、
谷へと放り投げられたそうで、
その時の傷跡が、死ぬまで残っていたという。
(津村淙庵『譚海』より「覚樹王院権僧正の事」
一部抜粋)
*
享和3年(1803)の事。
奥州の、とある武士が、
越後の柏崎に向かう途中、
石地の駅で馬を取り替えた。
(現在の新潟県柏崎市西山町石地?)
武士は馬の半丁ほど前を歩いていたが、
(1丁=1町≒109m)
町外れに出たと思った途端、
人々の前から姿を消してしまった。
馬方は、そのまま道を進み、
やがて次の椎谷の駅に到着したので、
(現在の新潟県柏崎市大字椎谷?)
引継ぎのために問屋へ入ったが、
(=問屋場。江戸時代、街道の宿駅で
人馬などを継ぎ替えた所。[旺文社古語辞典])
荷物の持ち主である武士がいないため、
受け付けてくれない。
仕方なく馬方は石地へ引き返し、
そこの問屋に事情を説明した。
そこで町役は柏崎の陣屋に届け出、
(江戸時代、居城のない大名の居所。
また、郡代・代官などの役所。[旺文社古語辞典])
陣屋でも人々を出して周辺を捜索したが、
武士を発見する事が出来なかったので、
彼は死亡したという事になり、
運んでいた荷物は奥州へと送り返された。
その半年後の、とある夜。
この武士が奥州の家に帰って来たので、
人々は驚き、何があったのか聞いたところ、
「石地の町から出ようとした時、
1人の山伏が現れたので、
それと話をしながら歩く内、
どこを歩いているのか分からなくなった。
聳え立つ峰や絶壁などを、
まるで鳥が空を飛ぶように進み、
見事な建物が立ち並ぶ場所に着いた。
そこで山伏に、どこなのか尋ねると、
日光山だと言うではないか。
驚きあわてて拝もうとしたら、
いつの間にか平地に立っていたのだが、
よくよく見れば、我が故郷だった」
(橘茂世『北越奇談』より「巻四・其二」)
*
蒲原郡滝谷村の慈光寺は、
人里離れた山中にある。
周囲の山には天狗が多く棲んでおり、
他の土地の人間が寺で寝泊りしていると、
さまざまな怪異を引き起こして驚かすという。
ある年の6月中旬の事。
寺の坊さんが全員外出して、
下僕の子供が1人で留守番をしていた。
そこへ髪の長い旅の僧が現れて、
しばらく休息を取っていたが、
ふと留守番の子供に向かって、
「今日は祇園祭の日だったな。
おまえ、見に行きたくないか?」
「もちろん見たいです。でも――」
それを聞いた僧は、子供を連れて寺を出た。
次の瞬間、子供は数千人の群衆の中にいた。
鉦や太鼓の音が鳴り響き、
色とりどりの着物は輝くようだ。
子供は夢中で祭を見物した。
やがて日が暮れかかって来ると、
僧は子供を連れて菓子屋に立ち寄り、
干菓子を一箱買い求めた。
と思うや、一瞬の内に寺へと戻り、
旅の僧は、そのまま行方をくらました。
不思議に思った人々が菓子箱を見ると、
京二条通菓子屋何某の印があったそうな。
また、大工や木こりなどが、
天狗の噂話をしていると、
たちまち彼らの着物などを持ち去って、
杉の大木の梢(こずえ)に引っ掛けてしまう。
すると取られた人たちは慈光寺へ行き、
和尚に天狗への口添えを頼む。
そこで和尚が袈裟を着て杉の根元に行き、
「また悪戯をしおったな。
早く着物を持ち主に返せ」
と空に向かって言うと、
すぐに着物は梢を離れ、
風に乗って地面に落ちるのだという。
(橘茂世『北越奇談』より「巻四・其一」)
*
文化3年(1806)の事だという。
美濃国郡上郡大豆村の重五郎は、
14〜15歳の時、入浴中に天狗に攫われた。
最初に、自分の家の敷地内にある、
三囲ほどの松の梢に連れて行かれたが、
(一囲=一抱=両手で抱えられるぐらいの太さ)
それは『鴨枝があるから祟られる』と、
全く手入れをしていない松の木で、
普段から『天狗が来る』と言われていた。
その辺りでは、鴨の形をした枝を持つ木や、
箒のような枝を持つ木は祟られると言って、
一切手入れをしないらしい。
その天狗は、絵にある通りの高い鼻で、
絵にある通りの顔色だったという。
それから重五郎は天狗に連れられて、
40里(≒156km)ほど離れた場所に生えた、
10畳敷ぐらいある松の上に着いた。
そこには様々な天狗が大勢いて、
酒宴の真っ最中だった。
さらに、そこから方々連れ回されたが、
3年も天狗と一緒にいたそうで、
その後、鉄砲の名人となって戻って来た。
飛ぶ鳥でも何でも百発百中なので、
猟師となって生活していたが、
ある日、成村の雁の池に住む大蛇を、
誤って撃ってしまったため、
崇りを恐れて行方をくらましたという。
なお、天狗に連れ回されている時、
ある大名の祝宴に紛れ込んで、
そこにあったご馳走を食べたが、
誰にも気づかれなかったらしい。
また、天狗は重五郎に稲の穂を、
手が痛くなるほど揉ませたが、
それによって稲の出来が悪くなった。
以上、剣村に住む、与三左衛門が、
重五郎から直に聞いた話である。
(三好想山『想山著聞奇集』より
「天狗に連行れて鉄砲の妙を得来りし者の事」)
*
北美濃の郡上郡・武芸郡、
(現在の岐阜県郡上市および関市武芸川町?)
及び東美濃の賀茂郡・恵那郡の辺りでは、
(現在の岐阜県加茂郡および恵那市?)
山の木を伐採する時、
最初に斧を入れる前に、
狗賓餅(ぐひんもち)を山の神に供え、
人々も食べるのが習慣になっている。
そうしないと色々な怪現象が起きて、
木を伐る事が出来なくなるためだ。
長い間、山中を回って木を伐る時も、
時々狗賓餅を供えて祝い直さないと、
やはり怪現象が起きるという。
ある時、武芸郡志津野村で、
(現在の岐阜県関市志津野?)
村続きの平山で木を伐り始めた。
この平山は、高い山というほどのものでも、
古木の生い茂る深い森でもなく、
天狗が住んでいるとは思われなかったため、
狗賓餅を供えなかったのだが、
いざ木を伐ろうと斧を振り上げたら、
ことごとく斧の刃を取られてしまった。
驚いた人々が周囲を見れば、
木を伐る道具が消えてしまっていたため、
慌てて村に戻って狗賓餅の支度をし、
山神に供えて詫びを入れたところ、
すぐになくなった道具が戻って来て、
翌日から木を伐る事ができたというが、
その程度の怪現象は、
それほど珍しいものでもないらしい。
狗賓餅を供える時は、
「今日は狗賓餅をするから来い」
と、まず村中に声を掛ける。
すると村の老若男女が山に集まって、
まずご飯を硬く炊き上げ、
握り飯にして串に刺し、
よく焼いた上で味噌をつける。
それを木の葉などに盛って、
清めた場所に供えてから、
残りを自分たちで食べるのだそうな。
狗賓餅は、かなり美味い物なのだが、
これを作ると天狗が集まって来るので、
家の中では決して作らないという。
一方、同じ美濃の苗木辺りでは、
(現在の岐阜県中津川市苗木?)
狗賓餅の事を山小屋餅と言っており、
大きな握り飯を焼いて作る。
また小さめのを串に刺して焼いた物は、
ごへい餅と言っているのだが、
『御幣餅』の意味なのだろうか。
文政7〜8年(1824〜25)の10月7日、
苗木の二ツ森山で木を伐るため、
山に入ってごへい餅を作ったが、
山神に供えるのを忘れたまま、
全て食べつくしてしまった。
その晩、山の方から、
大木を切り倒す音が聞こえて来たため、
ようやく供え忘れた事に気づき、
さっそく餅を作り直して詫びたところ、
その後は何の異変もなかったという。
(三好想山『想山著聞奇集』より
「天狗の怪妙并狗賓餅の事」一部抜粋)
*
安永2年(1773)の噂によると、
愛宕で天狗が歌い踊るという。
(東京都港区の愛宕神社?)
「天に星なし地に人なし
四月八日の夜を見やれ」
という歌だそうな。
(大田南畝『半日閑話』より「狐天狗妖言」一部抜粋)
*
ある僧の説によれば、
天狗には2つの種類がある。
1つは修験の高僧の魂が、
死後も山に留まったもので、
それが時として人の目に触れる。
ゆえに、伝わっている形相は、
修行中の山伏と同じで、
首が白くて鼻が高く、
(原文は『白首』。白い顔? 白い頭?)
頭巾(ときん)や鈴掛(すずかけ)を身につけている。
(いずれも詳細はコチラをご覧下さい)
これが、俗に言う「グヒン」である。
(狗賓=天狗の別名)
そしてもう1つは、
鷹のクチバシに鷲の眼を持ち、
2枚の翼があるもので、
主に山中に住んでいるが、
時として市中に現れては、
人に害を及ぼしたり火災を起こすなど、
動乱を好む輩である。
西洋では、これを「エンゲル」と言い、
正直な人間に仇なす悪魔の類で、
誠に恐るべき存在である。
ただ、奴らは天神の命令を受けて、
人々に幸いや災いをもたらし、
特に悪事を働いた衆生を懲らしめるという。
この説を聞いて思い出したのだが、
根岸に住む女が語った話に、
(現在の東京都台東区根岸)
5〜6年前、その辺りにある高木の梢に、
首が白くて鼻が高く、
頭巾や鈴掛を身に着けた者がいた。
それを見た人々が怪しんで、
「あれは天狗じゃないか」
と言い合う内、姿が見えなくなったという。
一方、とある大名の世継ぎが子供の頃、
浜町の屋敷で凧を揚げて遊んでいると、
(現在の東京都中央区日本橋浜町)
遥か向こうの空で人の声がした。
彼が不思議に思っていると、
だんだん声が近くなって来た。
そこで人々が目を凝らすと、
それは両足を上に向けた人間だった。
着物の裾が垂れて顔を覆っていたが、
股間に陰戸が見えたので、
それが女だと分かった。
女は頻りに泣き叫んでいたが、
彼女以外は何も見えなかったため、
「きっと天狗が引っ提げているのだ」
と思う内にも、女の姿は遠ざかり、
やがて見えなくなってしまったという。
これは間違いなく「エンゲル」の仕業であろう。
(松浦静山『甲子夜話三篇』より
「天狗をグヒンと云説并天狗両種ある説」一部抜粋)
※「エンゲル」に攫われる女の話は既出なんです。
*
今から41年前の寛政12年(1800)、
京都の愛宕山で火災が発生し、
本殿が焼失した事があった。
この時、日光宮は日光登山の最中で、
ちょうど奥院におられたのだが、
その下の階から話し声がして、
「京の愛宕山から火が出て、
今も燃え続けている」
宮は不思議に思いながら、
屋敷へお戻りになられた。
すると、程なく京から早飛脚が来て、
愛宕山の本殿焼失を知らせたという。
日光山や愛宕山などの霊場には、
必ず天狗が住んでいると聞いているから、
宮のお聞きになった話し声も、
おそらく天狗の物だったのだろう。
ところで、その天狗が話した内容だが、
「火を消しに行きたいのは山々だが、
何しろ火を煽る奴らが多いから、
今から行っても火を消す事は難しい。
全く残念なことだ」
これを聞くと、天狗の空を飛ぶ速さが、
尋常ではない事が分かる。
また『火を煽る奴らが多い』というのは、
以前、皇居が炎上した時、
愛宕山の上から目撃された、
騎馬で炎の上を駆け回る奴らの類で、
つまり魔物の軍団は1つではないのだ。
(松浦静山『甲子夜話三篇』より
『日光宮登山のとき愛宕山失火の怪語』一部抜粋)
*
文化4年(1807)か5年の事、
井上志摩守の家臣に仕える中間が、
「何月何日に、お暇を賜りたく存じます」
「それは構わぬが、どこかへ行くのか?」
「日本橋の辺りに参ります」
その答えを不審に思った家臣は、
当日、中間を密かに尾行させたが、
日本橋の辺りで見失ってしまった。
その3年後。
この中間から来た手紙には、
「元気でおりますので、ご心配なく。
そちらには帰れそうもありません」
とあったので人々は、
「天狗に関わったのではないか?」
と言い合ったという。
(大田南畝『半日閑話』より「天狗かくし」)
*
日光の、とある山上の祠には、
葵の御紋が付いた木銚子がある。
願い事がある人は、そこに行って、
銚子の中に酒を入れておく。
願い事が叶う時は、
そこから一里ほど離れた別の祠に、
(1里≒3.9km)
木銚子が移動しているという。
そこで土地の人間は、
これを『飛銚子』と呼んでおり、
仏道修行者も頻繁に足を運ぶなど、
参拝客が絶えないそうな。
これは仙石某が日光奉行だった時、
その目で見た話だというが、
おそらくは天狗の仕業だろう。
不思議な事もあるものだ。
(松浦静山『甲子夜話続篇』より「飛銚子[日光のこと]」)
*
ある人の話によれば、
どこかで火事が発生すると、
天狗が火炎の中を走り回って、
火の勢いを増すのだそうな。
また、別の人の話によれば、
以前、小石川で火事があった時、
目に見えない何物かが、
道を行く人の鼻をつまんだという。
歩いている人が被害に遭ったのならば、
近くに犯人がいたとも考えられるが、
この時は馬に乗っていた人も、
鼻をつままれ、耳を引っ張られたとの事で、
これも天狗の仕業だろうと語っていた。
(松浦静山『甲子夜話続篇』より「天狗災火を走る」)
*
私の使っている下僕・源左衛門は、
上総国の泉郡中崎村出身の53歳だが、
(現在の千葉県夷隅郡?)
以前、天狗たちと過ごした事があるという。
7歳の時、馬の模様の着物を着て、
氏神の八幡宮に詣でた時、
その近くで山伏に連れて行かれた。
それから8年経った時、
この山伏が彼に向かって、
「お前は不浄の身になったから、家に返す」
と、相模国・大山に置き去りにした。
幸い迷子札が腰についていたため、
家まで送り届けてもらえたが、
どうやら家族が法事を執り行ったため、
そういう事になったらしい。
この時、彼が着ていた馬の着物は、
ほつれも破れも全くなかった。
それから3年経って、
源左衛門が18歳になった時、
また例の山伏が現れて、
「迎えに来たぞ。一緒に来い」
と、彼を背負って帯のような物を掛け、
「目を閉じておれ」
そのとたん、風を切るような音がして、
気がつくと越中立山にいた。
そこには大きな洞窟があって、
加賀白山まで通じていた。
その途中に、二十畳ほどの場所があって、
そこに僧侶や山伏が11人座っていたが、
源左衛門を連れてきた山伏を権現と呼び、
源左衛門の事は長福房と呼んだ。
彼ら天狗は、権現を上座に迎え、
源左衛門を彼の側に座らせると、
彼に乾菓子を食べさせた。
なお、その菓子を食べてからは、
何も口に入れる必要がなかったため、
大小便も全く出さなかったそうだ。
さて、11人の天狗たちは、
それぞれ口中で呪文を唱えていたが、
やがて笙(しょう)や篳篥(ひちりき)の音が、
どこからともなく聞こえて来ると、
皆で交互に舞い踊った。
この権現の容姿だが、
白髪で、鬚は膝に届くほど長く、
性格は温和で慈愛に満ちており、
毎朝の勤行で、天下安全を祈っていた。
権現は天狗ではなく、仙人らしいのだが、
彼によれば、陸奥国は、
昔の大将が多く仙人になっているという。
また、鞍馬寺や貴船神社に行った時の事。
大広間に大勢の僧侶が座っていたが、
参詣の人々が願い事をすると、
心の声が言葉になって聞こえて来た。
すると、それを聞いた天狗たちが、
「この願いは叶えてやろう」
「これは笑止千万」
「なんと愚かな事を……」
などと口々に言ったが、時には、
「こいつは、けしからん。
とうてい叶えてやるわけにはゆかぬ」
と、何やら呪文のようなものを唱える事もあった。
この他、方々の山を訪れると、
必ず天狗が現れて、剣術や兵法を教えてくれた。
ある時などは、
「一の谷の合戦の様子を見せてやろう」
すると、山頭に多数の旌旗が翻り、
人馬が駆け回り、閧(とき)の声を上げるなど、
何にも例えようのないほど素晴らしかった。
おそらくは、妖術だったのだろう。
ところで、天狗の世界には、
木葉天狗という者もいるが、
天狗の間ではハクラウと呼ばれており、
年経た狼がなるのだという。
おそらく、その意味するところは、
『白い毛の生えた老いた物』なのだろうから、
ハクラウは『白狼』だと思われる。
天狗たちが何かを買うための銭は、
ハクラウが薪などを取って人に売ったり、
人を肩に乗せて運んだ運賃などで得るらしい。
なお、天狗は酒が好きなのだそうな。
また、恐山から十八里奥に入った場所に、
(1里≒3.9km)
ぐひん堂という天狗の祠がある。
〔ある本の記述によれば、
『狗賓(ぐひん)は天狗の別称』らしい〕
そこには、毎月下旬になると、
信州の善光寺から如来を招じるのだが、
それはハクラウたちが如来の利益によって、
三熱の苦を免れる事を祈るためである。
(竜・蛇などの受ける三つの苦悩。〔広辞苑〕)
そうして如来が来る時は、
権現をはじめとする天狗たちも出迎えるが、
如来の発する光のために、
まるで昼間のように明るくなるという。
そうして源左衛門が19歳になった時、
天狗の部類を祓うための証書と、
兵法を記した2巻の巻物を手渡され、
「人界に帰してやろう」
と言うと、脇差を与えて腰に差させ、
袈裟を着せられた上で、家に戻された。
この証書と、兵法の巻物と、
最初に攫われた時に着ていた着物は、
上総の氏神に奉納したが、
脇差と袈裟は、今も持っているという。
もっとも私(松浦静山)は、まだ見せてもらってない。
ところで、奉納された巻物の中身を、
八幡宮の神主が密かに見ようとしたが、
とたんに目が眩んで見ることが出来ず、
結局そのまま納めてあるそうだ。
なお、巻物は梵字で書かれているらしい。
以上が、我が下僕・源左衛門の話である。
全く疑問の余地がないわけではないが、
全部が全部ウソという事でもあるまい。
この広い天地の間には、
妖魔たちの世界があるように思う。
(松浦静山『甲子夜話』より「天狗界の噺」)
*
永禄(1558〜1570)の頃にあったという話。
仙波にある喜多院の住持が天狗になって、
妙義山・中の嶽に飛び去ったため、
その住持の墓だけは、ないのだそうな。
また、その住持が使っていた小僧も、
天狗になって飛び去ったものの、
こちらは庭先に落ちて死んだため、
そこに小さな祠を立てたらしい。
なお、小僧は天狗になる直前まで、
味噌を擂(す)っていたため、
すりこ木を捨てて飛び立ったという。
故にか、喜多院で味噌を擂ると、
必ず何物かに、すりこ木を奪われるため、
味噌汁を作る時には、
槌で味噌を叩き潰しているのだとか。
(松浦静山『甲子夜話』より「喜多院に味噌をすること成らず」)
*
嵯峨天竜寺の寺領内・山本村に、
遠離庵という尼寺がある。
そこに19歳になる初発心の尼がいた。
(出家して間もない事)
ある日、庵の尼僧が4〜5人連れ立ち、
裏の山へ蕨(わらび)取りに出かけた。
帰りは各々の判断で戻る事にして、
それぞれが庵へ帰ってみれば、
出家したばかりの尼僧がいない。
狐や狸に化かされたか、
それとも何かあったのかと、
尼僧たち皆で熱心に祈ったが、
翌日になっても帰って来なかった。
そうして尼僧が行方不明になってから、
3日も経った、ある日暮れ時。
薪を取りに来た隣村の木こりが、
谷川で衣を洗う女を見つけて、
「こんな山奥で何をしてるんだね?」
「私は愛宕山に参籠している者でございます」
と答えるのを聞いて驚いた木こりは、
尼僧をなだめすかして自分の村へ連れ帰った。
隣村から連絡を受けた庵では、
ただちに駕籠で尼僧を引き取ったが、
無口で実直な彼女が、
大層らしい事ばかりを、がなり立て、
「飯を食わせてくれ」
というので食事の用意をすると、
山盛り3杯をぺろりと平らげ、
その場にバッタリと倒れてしまった。
それから一時も経って、
(1時≒2時間)
落ち着きを取り戻した尼僧が、
問われるままに語ったところによれば、
蕨を取りに山へ行った時、
40歳ぐらいで杖を突いた僧が現れ、
「こちらへ来なさい」
その様子が尊く見えたので、
言われるままに近寄ると、
「この杖を持って目を閉じなさい」
そこで言われた通りにすると、
わずかな間に遠くまで来たと見えて、
立派な建物のある場所に立っていた。
自分を連れて来た僧が言うには、
「ここは禁裡である」
(きんり=禁裏。皇居の事)
また、団子のような物を差し出したので、
それを食べたが、とても美味しくて、
今でも味が口の中に残っており、
それを食べてからは、空腹を覚えなかった。
それから僧は彼女に向かって、
「お前は貞実な人間だから、
愛宕山へ参籠すれば、
きっとよい尼になるであろう。
これから諸方へ連れて行って、
いろいろと見物させてやる。
讃岐の金毘羅にも参詣させてやろう」
そうして庵に帰った翌日も、
「お坊様がいらっしゃった」
などと言ったが、周りの目には何も見えない。
そこで人々は、
「これは天狗の仕業に違いない」
と、その尼僧を親元に帰したそうな。
この事件について、ある人が言うには、
「これまで天狗は女を攫(さら)わないとされていたが、
時代が澆季に入った事で、
(ぎょうき=末世)
奴らも女を愛するようになったのだろうか」
(松浦静山『甲子夜話』より「天狗、新尼をとる」)
*
天狗はエンゲル
高松藩の世継ぎが語ったという話。
彼が幼い時、凧を揚げていると、
向こうから空を飛んでくるものがあった。
不思議に思う内に近づいて来たので、
ふと見れば、これが逆さまになった人間で、
両足が上に、頭が下になっている。
着物の裾が、すっかりまくれて、
頭を覆い隠していたが、
どうやら性別は女らしく、
大きな叫び声がハッキリと聞こえた。
そこで彼は、天狗が人をさらって、
帰る途中だったのだろうと思ったそうだ。
彼の目に見えたのは人だけだったが、
人が空を行く光景は、
側にいた家臣たちにも見えたらしい。
(松浦静山『甲子夜話』より「空中に人行を見し事」)
*
坂本運四郎という男が、
信州にある駒ケ岳に登った時の事。
同行した石工に命じて、
頂上の石に数字を刻ませたりしたが、
(この場合は『いくつかの文字』か?)
日が暮れて辺りは暗くなり、
下山できなくなってしまったため、
そこで山頂で一夜を過ごす事になった。
その夜半とおぼしき頃、
錚錚として何か通り行く気配がした。
(錚錚として=ここでは金属的な音?)
暗くてハッキリとは分からないが、
星明りに透かして見れば、
数人が列をなしており、
その背中には、ことごとく翼が生えている。
行列の中には、竹竿を荷った者が2人いて、
その上に1人の者がまたがっており、
どうやら行列の主かと思われる。
やがて一行は、いずこともなく去って行き、
山頂は再び静寂に包まれた。
行列が通る時、錚錚と鳴っていたのは、
それぞれの翼だったという話だが、
やはり天狗の行列だったのだろうか。
(松浦静山『甲子夜話』より「阪本雲四郎・駒嶽に怪を見る事」)
*
2人連れの飛脚が箱根を越えていた時。
真夜中に山頂の方から、
やかましいほどの人声が聞こえて来た。
不思議に思いながら進んで行くと、
山頂の芝が生えた部分に幕が張り巡らされ、
数人が宴会をしている様子で、
舞ったり歌ったりしているのだが、
その幕が邪魔で、前に進めない。
「しょうがない、あの人たちに断って、
幕の中を通らせてもらおう」
と、飛脚が中に声を掛けると、
「お通りなさい」
そこで2人が幕の中に入ると、
とたんに幕も人も消え失せた。
2人は驚き、そこを走って逃げたが、
しばらくして後ろの方から、
元のように騒がしい宴の声がしたので、
振り返って見れば、
また幕が張り巡らされていたので、
2人は飛ぶように逃げて行ったという。
世に言う天狗の仕業であろうか。
(松浦静山『甲子夜話』より「飛脚・箱根山にて怪異に逢ふ事」)
*
寛政の末に、誠拙和尚という人が、
招かれて南禅寺に行った時、
その後ろの山から、
大勢の人が舞い歌う声がするのを、
寺の人たちが耳にして、
「きっと和尚様が来たのを、
天狗たちが喜んでいるのだ」
また、和尚がそこに逗留している時、
彼が草履を脱いで厠に入り、
用を足し終えて外に出ると、
いつも草履がきちんと揃えてあったので、
「これも天狗の仕業だろう」
そんなある時、
和尚が鉄鉢に飯を盛って仏前に供え、
さて一同と勤行に及ぼうとしたら、
置いたはずの鉄鉢がない。
これには誠拙和尚も大いに怒り、
僧侶の1人に命じて、
鎮守祠の前で香を焚かせ、
(寺を守護する護神を祭った祠?)
守護が疎かになっている旨を告げさせた。
すると、その日の内に、
和尚が泊まっている房の庭の籬(まがき)に、
消えた鉄鉢が載せてあるのが見つかったが、
その周囲には血痕が点々とあったため、
「天狗が護法神にお仕置きされたのだ」
(松浦静山『甲子夜話』より「誠拙和尚、南禅寺にて天狗を戒むる事」)
*
※天狗の登場はありませんが、
本人がそのように言っているので……
なお、食事中の方は少し注意して下さい。
私が厩(うまや)で使っている下僕が、
天狗に攫われた事があると言うので、
直接会って話を聞いたところ、
現在56歳の彼が41歳の時、
3月5日の巳の刻ごろ、
(巳の刻=午前10時ぐらい)
江戸・両国橋の辺りで、
ふと気分が悪くなったきり、
前後不覚に陥ったという。
次に正気づいたのは、
同年の10月28日の事で、
信州・善光寺の門前に立っていた。
その間の事は全く覚えていない。
着ている服は変わってなかったが、
あちらこちらと破れており、
月代(さかやき)も伸び放題に伸び、
まるで禿(かむろ)のようだった。
(かむろ=遊女の雑用係をする少女。
今で言うおかっぱ頭をしていた)
幸いな事に、故郷の知り合いと偶然出会い、
江戸に帰って来る事ができたのだが、
それからというもの、
何かを食べようとすると胸が悪くなり、
米などの穀物を食べられないため、
仕方なく薩摩芋を食べていた。
すると大便をするたびに、
木の実のような物が一緒に排出され、
それが出なくなると同時に、
腹の中も爽快になって、
再び穀物を食べられるようになったという。
(松浦静山『甲子夜話』より「上総人足、天狗にとられ帰後の直話」)
*
信州の大名の家臣・萱野某の話。
ある日、下僕に言いつけて、
大きくて浅い桶を作らせた。
それが出来て来ると、、
1石2斗のもち米で作った赤飯を、
(1石=10斗、1斗≒18リットル)
その桶の中に盛り、
新しい莚(むしろ)10枚を座敷に敷いた。
そして日が暮れるのを待ってから、
沐浴して身を清めると、麻裃に着替え、
家の人間に入らないように命じ、
たった一人で、その部屋に籠った。
家の者は、もしや乱心かと案じたが、
刃物を身につけていないので、
とりあえず見守る事にした。
すると夜も更けた頃、その部屋の方から、
30〜40人もの足音が聞こえて来た。
しかし、会話などは全く聞こえない。
やがて日が昇って朝になったが、
やはり部屋からは物音一つしないので、
恐る恐る主人の籠った部屋を覗いてみると、
赤飯は1粒もなくなっており、
人影どころか主人の姿も見えないので、
慌てて方々を捜し回ったが、
見つける事が出来なかった。
同じ藩に勤める親類に相談しても、
どうしてよいか分からない。
「とにかく、このまま現場を保存して、
役所に届けるしかあるまい」
そこで役人が、この家に来て調べたが、
当然ながら、何も分からない。
仕方なく、ありのままを領主に伝えると、
「真面目に勤務していた彼が、
脱藩したとは考えられぬが、
人知れず行方不明になったのは事実だ。
よって、萱野の家は断絶とする。
ただし、過去の勤務実績を考慮して、
その息子をもって新しい家を立て、
同じ禄高で雇用する」
やがて年が明けた正月元旦。
床の間に1通の手紙が置かれているのを、
その家の人間が見つけた。
見れば、消えた主人の筆跡で、
「私は今、愛宕山に住んでおり、
宍戸シセンと名乗っている」
「毎月24日には、絶対に酒を飲むな」
と、それだけしか書いておらず、
その後は、特に何の異変もなかったという。
(根岸鎮衛『耳嚢』より「天狗に成しといふ奇談の事」)
*
※その服装が天狗っぽいので、
天狗ということにしました。
江戸・本郷の三河屋という質屋に、
長年まじめに勤務している、
50歳ほどになる老僕が、
ある日、同じ質屋に勤める者たちに、
「近々、この辺りに火事があるよ」
いきなり言ったので、同僚たちは大笑い。
ところが、その数日後。
本当に近所で火災が発生したから、
店の人間は大騒ぎ。
しかし老僕は落ち着き払って、
「この店に火が移る事はないから、
家財道具は、そのままで大丈夫だよ」
すると、やはり彼の言った通り、
火は数軒の家を焼いただけで鎮まり、
三河屋は全く無事だった。
こうして火事を言い当てた老僕だが、
夜、彼が寝ている2階の部屋から、
人の話し声がするという噂を聞いた主人が、
何がどうなってるのか尋ねたところ、
「名前も何も分からないのですが、
山伏のような人が時々来て、
いろんな話をして行くのです。
火事の事も、彼が教えてくれました」
なお、近辺に住む人によれば、
その辺りの屋敷では、
時々狸が悪戯をするらしいから、
あるいは老僕が会っている山伏も、
狸が化けた物なのかもしれない。
(根岸鎮衛『耳嚢』より「老僕奇談の事」)
*
享保年間、下総・関宿であった話。
ある場所に、杉と松の大木が、
並んで立っていたが、
一夜明けて見てみたら、
二本の梢(こずえ)が結び合わされていたという。
天狗という奴の仕業なのだろうか。
以前、関宿に仕官していた人の話では、
その木は今も残っているそうな。
(根岸鎮衛『耳嚢』より「怪異之事」)
*
水戸の城下に住む医者の息子は、
家業に励み、日々患家を回っていた。
ある日、いつものように道を歩いていると、
老いた山伏に呼び止められ、
「おまえは医業に励んで、感心な男だ。
そんなおまえに、伝授したい事がある。
明後日、何時に某町の川原へ来い」
言われた息子、とっさに承知と返事したが、
今まで見たこともない上に、
名前も住所も聞かなかったので、
「さて、どうしたものか」
と、家に帰って相談すると、
「そんな怪しい者の言うことを聞いて、
何かあったら大変だ」
親も妻も口々に反対したので、
約束の場所へ行くのを中止した。
すると、その翌日、
例の山伏と路上で出会い、
「どうして約束を破ったのだ」
「それが、かくかくしかじかで、
家の者に止められまして……」
「ならば、この明け方に同じ場所へ来い。
今度は約束を違えるなよ」
息子は家に戻ると、
再び山伏に出会ったことを話し、
「今度は行こうと思っている」
すると、今度は家族に親族も加わり、
「そいつは、世間で言う天狗に違いない。
絶対に行ってはならんぞ」
と強く言い聞かせたが、
どうも言うことを聞きそうにないので、
一同で息子を見張る事にした。
そして深夜を過ぎた頃、
見張りがウトウトし始めたすきに、
息子は家を忍び出て、
約束の場所へと一直線に向かった。
川原へ到着してみると、
すでに山伏は先に来ており、
息子に五寸ほどの大きさの、
桐で出来た小箱を渡した。
中にはいくつかの処方を記した、
一冊の本が入っており、
試しに丸薬を作ってみたところ、
その薬を求めて、周辺の町から人が集まり、
程なく息子の家は金持ちになった。
その後、ある患家に呼ばれた時、
入浴中に火災が発生して、
山伏に貰った本は、
影も形もなくなってしまったが、
なぜか箱は燃え残ったそうな。
(根岸鎮衛『耳嚢』より「水戸の医師異人に逢ふ事」)
*
私の知人が話してくれたことだが、
江戸・小日向に住む小身の旗本の二男が、
どうしたものか、いきなり行方をくらませた。
突然のことに、祖母の嘆きは一方ならず、
思いつく限りを探したものの、
見つけることは出来なかった。
そんなある日、本郷の辺りで、
当の二男にバッタリと行き逢った。
祖母は嘆くやら怒るやらで、
「一体どこへ行っていたの!」
「ご心配をお掛けしたことは、
申し訳なく思いますが、
今は不自由を感じることなく、
日々の生活を送っております。
どうぞご安心ください。
家に帰ってお目にかかろうと思ったことも、
一度ならずありますが、
そうなると家族にも迷惑がかかるし、
私にとっても、いい事がないということで、
今日まで来てしまいました。
それでは、お別れいたしましょう」
そういう二男の袖を取って
「もう少しだけ」
と言う祖母に、
「それでしたら、今度の何日に、
浅草観音の境内にある、
念仏堂にいらしてください。
そこでお目にかかりましょう」
家に帰った祖母が、
外であったことを家族に言ったが、
「やれやれ、ついにボケてしまったか」
と、誰も真面目に取り合わない。
そして約束の当日。
「さあ、浅草へ行きましょう」
と、下僕を一人連れて念仏堂に来てみると、
そこに二男が現れて、
色々と話をした末に、
「これからは、決して探さないで下さい。
私も今は、何不自由なく暮らしています」
と言い残すと、二男の連れなのか、
念仏堂にいた二人の老僧とともに、
人ごみに紛れて見えなくなった。
さて、家に帰った祖母の話と、
一部始終を見ていた下僕の話には、
少しも違うところがなかったので、
「これはきっと、天狗という奴の仕業だろう」
ということに話がまとまり、
祖母もボケ扱いされなくなったという。
(根岸鎮衛『耳嚢』より「魔魅不思議の事」)
*
※ここには天狗は出て来ませんが、
他の本にある同様の話で、
「これは天狗のしわざか?」
と推測していましたので、
『天狗』の中に入れました。
江戸・小日向に住む水野何某の、
その祖父の代のことだという。
右筆をしている家臣が門前にいると、
(早い話が記録係とか書記)
一人の僧が通りかかり、
「今日、大事な書の会に出席するのですが、
あなたの手を貸して下さいませんか?」
「いきなり『手を貸せ』と言われても、
一体どうすればよいのだ?」
「大したことではございません。
ただ、三日の賃貸契約について、
『承知した』とおっしゃって下されば、
それでよろしいのです」
言われた右筆は、
(怪しい奴)とは思いながら、
「承知した」
ところが、仕事に戻ってみると、
『一』の字すら書けないではないか。
その様子を見た主人が、
「一体どうしたというのだ?」
「それが、かくかくしかじかで――」
そして約束の三日目、
件の僧侶がやって来て、
「おかげさまで、無事に過ごせました。
大したお礼も出来ませんが――」
と、懐から何かを記した紙を取り出し、
「万一、火災に見舞われたとき、
これを床の間に掛けておけば、
きっと火難を免れることが出来ましょう」
と言い残して立ち去った。
その報告を受けた主人は、
早速その紙を表装して、掛け軸にした。
右筆も、元通り字が書けるようになった。
その後、屋敷の近辺で、
何度か火災が発生したが、
例の掛け軸の効果だろうか、
一度も貰い火をせずに済んだが、
掛け軸を蔵に入れておいた時の火事では、
取り出して掛ける暇もなかったため、
住居は残らず焼けてしまった。
ただ、その蔵だけは大丈夫だったそうな。
(根岸鎮衛『耳嚢』より「怪僧墨蹟の事」)
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