加賀の城下から十八里(≒70.2km)のところに、
越中立山の麓があり、
旅人を泊める宿が20軒ほど並んでいる。
そこでは怪しい事が多く起きるそうで、
夜中に小屋が震動する事も珍しくない。
人々は、それを天狗の仕業として、
みんなで一心不乱に念仏を唱えるらしい。

(津村淙庵『譚海』より
「越中国立山の事」一部抜粋)




日光山は、天狗が住む恐ろしい場所である。

1人の浪人が、山中の寺に滞留していた。
ある晩、人々が集まって碁を打っていたが、
この浪人、連戦連勝に驕(おご)り高ぶり、
「俺より強い奴は、いないと見える」
それを、側にいた僧侶が聞いて、
「この寺で、さような事は言わぬがよい。
ここには鼻が高い人がいて、
ともすれば、ひどい目に遭わされる――」

と言った言葉に合わせるように、
明かり障子を隔てた庭から、しわがれた声で、
「ここでしっかり聞いておるぞ」
とたんに浪人の顔色が真っ青になり、
無言で碁盤を押しのけて布団に入ると、
翌朝、日が昇る前に下山して、
逃げるように去って行ったそうな。

(津村淙庵『譚海』より
「下野山日光山房にて碁を自慢せし人の事」




※どこにも『天狗』とは書かれていませんが、
遠くへ見物に連れて行く話なので……


江戸白銀にある瑞聖寺で、
長いこと下働きをしている七助が、
ある朝、飯炊きの最中に、
ふと行方をくらませてしまった。
その6年後、七助が消えたのと同じ日に、
寺の門前で人々が騒いでいるのを聞いて、
寺僧らが外に出たところ、
高い空から黒雲のような物が、
地上に向かって落ちて来るではないか。
やがて瑞聖寺の庭に落ちた物を見れば、
それは大きな蓮の葉で、
中で何かが蠢(うごめ)いている。
そこで人々が開いてみると、
茫然となった七助が出て来た。

それから2日ほど経って、
ようやく正気を取り戻した七助に、
「一体どこに行っていたのだ?」
「あの日、1人のお坊様がいらっしゃって、
私を天竺へ連れて行くとおっしゃいました。
それから一緒に空を歩くように旅をして、
ある場所に着いたのですが、
姿も言葉も日本人とは全く違いました。
そんな時、どこかが火事だと言って、
ずいぶん騒がしくなったのですが、
お坊様は蓮の葉を示されて、
その中に入るように言われました。
そこで言う通りに致しますと、
お坊様は私を蓮の葉で包んで持ち上げ、
そのまま投げ捨てられました。
覚えているのは、そこまでで、
後の事は全く分かりません」


その蓮は天竺の物なのだろう。
八畳敷ほどの大きさで、現在も寺にあり、
虫干しの際には一般人も見る事が出来る。
この話を聞かせてくれた人も、
その時に実物を目の当たりにしたという。
また七助は、その8年ほど後、
瑞聖寺において、72年の生涯を終えたそうな。

(津村淙庵『譚海』より
「江戸白銀瑞聖寺什物天竺蓮葉の事」




江戸神田明神近くの寺の住持だった、
覚樹王院権僧正が若かりし頃、
比叡山などで修行をしていたが、
少し慢心を起こした途端、天狗に掴み上げられ、
谷へと放り投げられたそうで、
その時の傷跡が、死ぬまで残っていたという。

(津村淙庵『譚海』より「覚樹王院権僧正の事」
一部抜粋)




享和3年(1803)の事。
奥州の、とある武士が、
越後の柏崎に向かう途中、
石地の駅で馬を取り替えた。
(現在の新潟県柏崎市西山町石地?)
武士は馬の半丁ほど前を歩いていたが、
(1丁=1町≒109m)
町外れに出たと思った途端、
人々の前から姿を消してしまった。
馬方は、そのまま道を進み、
やがて次の椎谷の駅に到着したので、
(現在の新潟県柏崎市大字椎谷?)
引継ぎのために問屋へ入ったが、
(=問屋場。江戸時代、街道の宿駅で
人馬などを継ぎ替えた所。[旺文社古語辞典])

荷物の持ち主である武士がいないため、
受け付けてくれない。
仕方なく馬方は石地へ引き返し、
そこの問屋に事情を説明した。
そこで町役は柏崎の陣屋に届け出、
(江戸時代、居城のない大名の居所。
また、郡代・代官などの役所。[旺文社古語辞典])

陣屋でも人々を出して周辺を捜索したが、
武士を発見する事が出来なかったので、
彼は死亡したという事になり、
運んでいた荷物は奥州へと送り返された。

その半年後の、とある夜。
この武士が奥州の家に帰って来たので、
人々は驚き、何があったのか聞いたところ、
「石地の町から出ようとした時、
1人の山伏が現れたので、
それと話をしながら歩く内、
どこを歩いているのか分からなくなった。
聳え立つ峰や絶壁などを、
まるで鳥が空を飛ぶように進み、
見事な建物が立ち並ぶ場所に着いた。
そこで山伏に、どこなのか尋ねると、
日光山だと言うではないか。
驚きあわてて拝もうとしたら、
いつの間にか平地に立っていたのだが、
よくよく見れば、我が故郷だった」


(橘茂世『北越奇談』より「巻四・其二」



蒲原郡滝谷村の慈光寺は、
人里離れた山中にある。
周囲の山には天狗が多く棲んでおり、
他の土地の人間が寺で寝泊りしていると、
さまざまな怪異を引き起こして驚かすという。
ある年の6月中旬の事。
寺の坊さんが全員外出して、
下僕の子供が1人で留守番をしていた。
そこへ髪の長い旅の僧が現れて、
しばらく休息を取っていたが、
ふと留守番の子供に向かって、
「今日は祇園祭の日だったな。
おまえ、見に行きたくないか?」

「もちろん見たいです。でも――」
それを聞いた僧は、子供を連れて寺を出た。
次の瞬間、子供は数千人の群衆の中にいた。
鉦や太鼓の音が鳴り響き、
色とりどりの着物は輝くようだ。
子供は夢中で祭を見物した。
やがて日が暮れかかって来ると、
僧は子供を連れて菓子屋に立ち寄り、
干菓子を一箱買い求めた。
と思うや、一瞬の内に寺へと戻り、
旅の僧は、そのまま行方をくらました。
不思議に思った人々が菓子箱を見ると、
京二条通菓子屋何某の印があったそうな。

また、大工や木こりなどが、
天狗の噂話をしていると、
たちまち彼らの着物などを持ち去って、
杉の大木の梢(こずえ)に引っ掛けてしまう。
すると取られた人たちは慈光寺へ行き、
和尚に天狗への口添えを頼む。
そこで和尚が袈裟を着て杉の根元に行き、
「また悪戯をしおったな。
早く着物を持ち主に返せ」

と空に向かって言うと、
すぐに着物は梢を離れ、
風に乗って地面に落ちるのだという。

(橘茂世『北越奇談』より「巻四・其一」



文化3年(1806)の事だという。
美濃国郡上郡大豆村の重五郎は、
14〜15歳の時、入浴中に天狗に攫われた。
最初に、自分の家の敷地内にある、
三囲ほどの松の梢に連れて行かれたが、
(一囲=一抱=両手で抱えられるぐらいの太さ)
それは『鴨枝があるから祟られる』と、
全く手入れをしていない松の木で、
普段から『天狗が来る』と言われていた。
その辺りでは、鴨の形をした枝を持つ木や、
箒のような枝を持つ木は祟られると言って、
一切手入れをしないらしい。
その天狗は、絵にある通りの高い鼻で、
絵にある通りの顔色だったという。
それから重五郎は天狗に連れられて、
40里(≒156km)ほど離れた場所に生えた、
10畳敷ぐらいある松の上に着いた。
そこには様々な天狗が大勢いて、
酒宴の真っ最中だった。
さらに、そこから方々連れ回されたが、
3年も天狗と一緒にいたそうで、
その後、鉄砲の名人となって戻って来た。
飛ぶ鳥でも何でも百発百中なので、
猟師となって生活していたが、
ある日、成村の雁の池に住む大蛇を、
誤って撃ってしまったため、
崇りを恐れて行方をくらましたという。
なお、天狗に連れ回されている時、
ある大名の祝宴に紛れ込んで、
そこにあったご馳走を食べたが、
誰にも気づかれなかったらしい。
また、天狗は重五郎に稲の穂を、
手が痛くなるほど揉ませたが、
それによって稲の出来が悪くなった。

以上、剣村に住む、与三左衛門が、
重五郎から直に聞いた話である。

(三好想山『想山著聞奇集』より
「天狗に連行れて鉄砲の妙を得来りし者の事」




北美濃の郡上郡武芸郡
(現在の岐阜県郡上市および関市武芸川町?)
及び東美濃の賀茂郡恵那郡の辺りでは、
(現在の岐阜県加茂郡および恵那市?)
山の木を伐採する時、
最初に斧を入れる前に、
狗賓餅(ぐひんもち)を山の神に供え、
人々も食べるのが習慣になっている。
そうしないと色々な怪現象が起きて、
木を伐る事が出来なくなるためだ。
長い間、山中を回って木を伐る時も、
時々狗賓餅を供えて祝い直さないと、
やはり怪現象が起きるという。
ある時、武芸郡志津野村で、
(現在の岐阜県関市志津野?)
村続きの平山で木を伐り始めた。
この平山は、高い山というほどのものでも、
古木の生い茂る深い森でもなく、
天狗が住んでいるとは思われなかったため、
狗賓餅を供えなかったのだが、
いざ木を伐ろうと斧を振り上げたら、
ことごとく斧の刃を取られてしまった。
驚いた人々が周囲を見れば、
木を伐る道具が消えてしまっていたため、
慌てて村に戻って狗賓餅の支度をし、
山神に供えて詫びを入れたところ、
すぐになくなった道具が戻って来て、
翌日から木を伐る事ができたというが、
その程度の怪現象は、
それほど珍しいものでもないらしい。

狗賓餅を供える時は、
「今日は狗賓餅をするから来い」
と、まず村中に声を掛ける。
すると村の老若男女が山に集まって、
まずご飯を硬く炊き上げ、
握り飯にして串に刺し、
よく焼いた上で味噌をつける。
それを木の葉などに盛って、
清めた場所に供えてから、
残りを自分たちで食べるのだそうな。
狗賓餅は、かなり美味い物なのだが、
これを作ると天狗が集まって来るので、
家の中では決して作らないという。

一方、同じ美濃の苗木辺りでは、
(現在の岐阜県中津川市苗木?)
狗賓餅の事を山小屋餅と言っており、
大きな握り飯を焼いて作る。
また小さめのを串に刺して焼いた物は、
ごへい餅と言っているのだが、
『御幣餅』の意味なのだろうか。
文政7〜8年(1824〜25)の10月7日、
苗木の二ツ森山で木を伐るため、
山に入ってごへい餅を作ったが、
山神に供えるのを忘れたまま、
全て食べつくしてしまった。
その晩、山の方から、
大木を切り倒す音が聞こえて来たため、
ようやく供え忘れた事に気づき、
さっそく餅を作り直して詫びたところ、
その後は何の異変もなかったという。

(三好想山『想山著聞奇集』より
「天狗の怪妙并狗賓餅の事」一部抜粋)




安永2年(1773)の噂によると、
愛宕で天狗が歌い踊るという。
(東京都港区の愛宕神社?)
天に星なし地に人なし
四月八日の夜を見やれ
という歌だそうな。

(大田南畝『半日閑話』より「狐天狗妖言」一部抜粋)



ある僧の説によれば、
天狗には2つの種類がある。
1つは修験の高僧の魂が、
死後も山に留まったもので、
それが時として人の目に触れる。
ゆえに、伝わっている形相は、
修行中の山伏と同じで、
首が白くて鼻が高く、
(原文は『白首』。白い顔? 白い頭?)
頭巾(ときん)鈴掛(すずかけ)を身につけている。
(いずれも詳細はコチラをご覧下さい)
これが、俗に言う「グヒン」である。
(狗賓=天狗の別名)
そしてもう1つは、
鷹のクチバシに鷲の眼を持ち、
2枚の翼があるもので、
主に山中に住んでいるが、
時として市中に現れては、
人に害を及ぼしたり火災を起こすなど、
動乱を好む輩である。
西洋では、これを「エンゲル」と言い、
正直な人間に仇なす悪魔の類で、
誠に恐るべき存在である。
ただ、奴らは天神の命令を受けて、
人々に幸いや災いをもたらし、
特に悪事を働いた衆生を懲らしめるという。

この説を聞いて思い出したのだが、
根岸に住む女が語った話に、
(現在の東京都台東区根岸)
5〜6年前、その辺りにある高木の梢に、
首が白くて鼻が高く、
頭巾や鈴掛を身に着けた者がいた。
それを見た人々が怪しんで、
「あれは天狗じゃないか」
と言い合う内、姿が見えなくなったという。

一方、とある大名の世継ぎが子供の頃、
浜町の屋敷で凧を揚げて遊んでいると、
(現在の東京都中央区日本橋浜町)
遥か向こうの空で人の声がした。
彼が不思議に思っていると、
だんだん声が近くなって来た。
そこで人々が目を凝らすと、
それは両足を上に向けた人間だった。
着物の裾が垂れて顔を覆っていたが、
股間に陰戸が見えたので、
それが女だと分かった。
女は頻りに泣き叫んでいたが、
彼女以外は何も見えなかったため、
「きっと天狗が引っ提げているのだ」
と思う内にも、女の姿は遠ざかり、
やがて見えなくなってしまったという。
これは間違いなく「エンゲル」の仕業であろう。

(松浦静山『甲子夜話三篇』より
「天狗をグヒンと云説并天狗両種ある説」一部抜粋)


※「エンゲル」に攫われる女の話は既出なんです。



今から41年前の寛政12年(1800)
京都の愛宕山で火災が発生し、
本殿が焼失した事があった。
この時、日光宮は日光登山の最中で、
ちょうど奥院におられたのだが、
その下の階から話し声がして、
「京の愛宕山から火が出て、
今も燃え続けている」

宮は不思議に思いながら、
屋敷へお戻りになられた。
すると、程なく京から早飛脚が来て、
愛宕山の本殿焼失を知らせたという。

日光山や愛宕山などの霊場には、
必ず天狗が住んでいると聞いているから、
宮のお聞きになった話し声も、
おそらく天狗の物だったのだろう。
ところで、その天狗が話した内容だが、
「火を消しに行きたいのは山々だが、
何しろ火を煽る奴らが多いから、
今から行っても火を消す事は難しい。
全く残念なことだ」

これを聞くと、天狗の空を飛ぶ速さが、
尋常ではない事が分かる。
また『火を煽る奴らが多い』というのは、
以前、皇居が炎上した時、
愛宕山の上から目撃された、
騎馬で炎の上を駆け回る奴らの類で、
つまり魔物の軍団は1つではないのだ。

(松浦静山『甲子夜話三篇』より
『日光宮登山のとき愛宕山失火の怪語』一部抜粋)




文化4年(1807)か5年の事、
井上志摩守の家臣に仕える中間が、
「何月何日に、お暇を賜りたく存じます」
「それは構わぬが、どこかへ行くのか?」
「日本橋の辺りに参ります」
その答えを不審に思った家臣は、
当日、中間を密かに尾行させたが、
日本橋の辺りで見失ってしまった。
その3年後。
この中間から来た手紙には、
「元気でおりますので、ご心配なく。
そちらには帰れそうもありません」

とあったので人々は、
「天狗に関わったのではないか?」
と言い合ったという。

(大田南畝『半日閑話』より「天狗かくし」



日光の、とある山上の祠には、
葵の御紋が付いた木銚子がある。
願い事がある人は、そこに行って、
銚子の中に酒を入れておく。
願い事が叶う時は、
そこから一里ほど離れた別の祠に、
(1里≒3.9km)
木銚子が移動しているという。
そこで土地の人間は、
これを『飛銚子』と呼んでおり、
仏道修行者も頻繁に足を運ぶなど、
参拝客が絶えないそうな。

これは仙石某が日光奉行だった時、
その目で見た話だというが、
おそらくは天狗の仕業だろう。
不思議な事もあるものだ。

(松浦静山『甲子夜話続篇』より「飛銚子[日光のこと]」



ある人の話によれば、
どこかで火事が発生すると、
天狗が火炎の中を走り回って、
火の勢いを増すのだそうな。
また、別の人の話によれば、
以前、小石川で火事があった時、
目に見えない何物かが、
道を行く人の鼻をつまんだという。
歩いている人が被害に遭ったのならば、
近くに犯人がいたとも考えられるが、
この時は馬に乗っていた人も、
鼻をつままれ、耳を引っ張られたとの事で、
これも天狗の仕業だろうと語っていた。

(松浦静山『甲子夜話続篇』より「天狗災火を走る」



私の使っている下僕・源左衛門は、
上総国の泉郡中崎村出身の53歳だが、
(現在の千葉県夷隅郡?)
以前、天狗たちと過ごした事があるという。

7歳の時、馬の模様の着物を着て、
氏神の八幡宮に詣でた時、
その近くで山伏に連れて行かれた。
それから8年経った時、
この山伏が彼に向かって、
「お前は不浄の身になったから、家に返す」
と、相模国・大山に置き去りにした。
幸い迷子札が腰についていたため、
家まで送り届けてもらえたが、
どうやら家族が法事を執り行ったため、
そういう事になったらしい。
この時、彼が着ていた馬の着物は、
ほつれも破れも全くなかった。

それから3年経って、
源左衛門が18歳になった時、
また例の山伏が現れて、
「迎えに来たぞ。一緒に来い」
と、彼を背負って帯のような物を掛け、
「目を閉じておれ」
そのとたん、風を切るような音がして、
気がつくと越中立山にいた。
そこには大きな洞窟があって、
加賀白山まで通じていた。
その途中に、二十畳ほどの場所があって、
そこに僧侶や山伏が11人座っていたが、
源左衛門を連れてきた山伏を権現と呼び、
源左衛門の事は長福房と呼んだ。
彼ら天狗は、権現を上座に迎え、
源左衛門を彼の側に座らせると、
彼に乾菓子を食べさせた。
なお、その菓子を食べてからは、
何も口に入れる必要がなかったため、
大小便も全く出さなかったそうだ。
さて、11人の天狗たちは、
それぞれ口中で呪文を唱えていたが、
やがて笙(しょう)や篳篥(ひちりき)の音が、
どこからともなく聞こえて来ると、
皆で交互に舞い踊った。
この権現の容姿だが、
白髪で、鬚は膝に届くほど長く、
性格は温和で慈愛に満ちており、
毎朝の勤行で、天下安全を祈っていた。
権現は天狗ではなく、仙人らしいのだが、
彼によれば、陸奥国は、
昔の大将が多く仙人になっているという。


また、鞍馬寺貴船神社に行った時の事。
大広間に大勢の僧侶が座っていたが、
参詣の人々が願い事をすると、
心の声が言葉になって聞こえて来た。
すると、それを聞いた天狗たちが、
「この願いは叶えてやろう」
「これは笑止千万」
「なんと愚かな事を……」
などと口々に言ったが、時には、
「こいつは、けしからん。
とうてい叶えてやるわけにはゆかぬ」

と、何やら呪文のようなものを唱える事もあった。
この他、方々の山を訪れると、
必ず天狗が現れて、剣術や兵法を教えてくれた。

ある時などは、
「一の谷の合戦の様子を見せてやろう」
すると、山頭に多数の旌旗が翻り、
人馬が駆け回り、閧(とき)の声を上げるなど、
何にも例えようのないほど素晴らしかった。
おそらくは、妖術だったのだろう。

ところで、天狗の世界には、
木葉天狗という者もいるが、
天狗の間ではハクラウと呼ばれており、
年経た狼がなるのだという。
おそらく、その意味するところは、
『白い毛の生えた老いた物』なのだろうから、
ハクラウは『白狼』だと思われる。
天狗たちが何かを買うための銭は、
ハクラウが薪などを取って人に売ったり、
人を肩に乗せて運んだ運賃などで得るらしい。
なお、天狗は酒が好きなのだそうな。
また、恐山から十八里奥に入った場所に、
(1里≒3.9km)
ぐひん堂という天狗の祠がある。
〔ある本の記述によれば、
『狗賓(ぐひん)は天狗の別称』らしい〕
そこには、毎月下旬になると、
信州の善光寺から如来を招じるのだが、
それはハクラウたちが如来の利益によって、
三熱の苦を免れる事を祈るためである。
(竜・蛇などの受ける三つの苦悩。〔広辞苑〕)
そうして如来が来る時は、
権現をはじめとする天狗たちも出迎えるが、
如来の発する光のために、
まるで昼間のように明るくなるという。

そうして源左衛門が19歳になった時、
天狗の部類を祓うための証書と、
兵法を記した2巻の巻物を手渡され、
人界に帰してやろう」
と言うと、脇差を与えて腰に差させ、
袈裟を着せられた上で、家に戻された。
この証書と、兵法の巻物と、
最初に攫われた時に着ていた着物は、
上総の氏神に奉納したが、
脇差と袈裟は、今も持っているという。
もっとも私(松浦静山)は、まだ見せてもらってない。
ところで、奉納された巻物の中身を、
八幡宮の神主が密かに見ようとしたが、
とたんに目が眩んで見ることが出来ず、
結局そのまま納めてあるそうだ。
なお、巻物は梵字で書かれているらしい。

以上が、我が下僕・源左衛門の話である。
全く疑問の余地がないわけではないが、
全部が全部ウソという事でもあるまい。
この広い天地の間には、
妖魔たちの世界があるように思う。

(松浦静山『甲子夜話』より「天狗界の噺」



永禄(1558〜1570)の頃にあったという話。
仙波にある喜多院の住持が天狗になって、
妙義山・中の嶽に飛び去ったため、
その住持の墓だけは、ないのだそうな。
また、その住持が使っていた小僧も、
天狗になって飛び去ったものの、
こちらは庭先に落ちて死んだため、
そこに小さな祠を立てたらしい。
なお、小僧は天狗になる直前まで、
味噌を擂(す)っていたため、
すりこ木を捨てて飛び立ったという。
故にか、喜多院で味噌を擂ると、
必ず何物かに、すりこ木を奪われるため、
味噌汁を作る時には、
槌で味噌を叩き潰しているのだとか。

(松浦静山『甲子夜話』より「喜多院に味噌をすること成らず」



嵯峨天竜寺の寺領内・山本村に、
遠離庵という尼寺がある。
そこに19歳になる初発心の尼がいた。
(出家して間もない事)
ある日、庵の尼僧が4〜5人連れ立ち、
裏の山へ蕨(わらび)取りに出かけた。
帰りは各々の判断で戻る事にして、
それぞれが庵へ帰ってみれば、
出家したばかりの尼僧がいない。
狐や狸に化かされたか、
それとも何かあったのかと、
尼僧たち皆で熱心に祈ったが、
翌日になっても帰って来なかった。

そうして尼僧が行方不明になってから、
3日も経った、ある日暮れ時。
薪を取りに来た隣村の木こりが、
谷川で衣を洗う女を見つけて、
「こんな山奥で何をしてるんだね?」
「私は愛宕山に参籠している者でございます」
と答えるのを聞いて驚いた木こりは、
尼僧をなだめすかして自分の村へ連れ帰った。

隣村から連絡を受けた庵では、
ただちに駕籠で尼僧を引き取ったが、
無口で実直な彼女が、
大層らしい事ばかりを、がなり立て、
「飯を食わせてくれ」
というので食事の用意をすると、
山盛り3杯をぺろりと平らげ、
その場にバッタリと倒れてしまった。

それから一時も経って、
(1時≒2時間)
落ち着きを取り戻した尼僧が、
問われるままに語ったところによれば、
蕨を取りに山へ行った時、
40歳ぐらいで杖を突いた僧が現れ、
「こちらへ来なさい」
その様子が尊く見えたので、
言われるままに近寄ると、
「この杖を持って目を閉じなさい」
そこで言われた通りにすると、
わずかな間に遠くまで来たと見えて、
立派な建物のある場所に立っていた。
自分を連れて来た僧が言うには、
「ここは禁裡である」
(きんり=禁裏。皇居の事)
また、団子のような物を差し出したので、
それを食べたが、とても美味しくて、
今でも味が口の中に残っており、
それを食べてからは、空腹を覚えなかった。
それから僧は彼女に向かって、
「お前は貞実な人間だから、
愛宕山へ参籠すれば、
きっとよい尼になるであろう。
これから諸方へ連れて行って、
いろいろと見物させてやる。
讃岐の金毘羅にも参詣させてやろう」


そうして庵に帰った翌日も、
「お坊様がいらっしゃった」
などと言ったが、周りの目には何も見えない。
そこで人々は、
「これは天狗の仕業に違いない」
と、その尼僧を親元に帰したそうな。

この事件について、ある人が言うには、
「これまで天狗は女を攫(さら)わないとされていたが、
時代が
澆季に入った事で、

(ぎょうき=末世)
奴らも女を愛するようになったのだろうか」

(松浦静山『甲子夜話』より「天狗、新尼をとる」


天狗はエンゲル
高松藩の世継ぎが語ったという話。
彼が幼い時、凧を揚げていると、
向こうから空を飛んでくるものがあった。
不思議に思う内に近づいて来たので、
ふと見れば、これが逆さまになった人間で、
両足が上に、頭が下になっている。
着物の裾が、すっかりまくれて、
頭を覆い隠していたが、
どうやら性別は女らしく、
大きな叫び声がハッキリと聞こえた。
そこで彼は、天狗が人をさらって、
帰る途中だったのだろうと思ったそうだ。
彼の目に見えたのは人だけだったが、
人が空を行く光景は、
側にいた家臣たちにも見えたらしい。

(松浦静山『甲子夜話』より「空中に人行を見し事」



坂本運四郎という男が、
信州にある駒ケ岳に登った時の事。
同行した石工に命じて、
頂上の石に数字を刻ませたりしたが、
(この場合は『いくつかの文字』か?)
日が暮れて辺りは暗くなり、
下山できなくなってしまったため、
そこで山頂で一夜を過ごす事になった。

その夜半とおぼしき頃、
錚錚として何か通り行く気配がした。
(錚錚として=ここでは金属的な音?)
暗くてハッキリとは分からないが、
星明りに透かして見れば、
数人が列をなしており、
その背中には、ことごとく翼が生えている。
行列の中には、竹竿を荷った者が2人いて、
その上に1人の者がまたがっており、
どうやら行列の主かと思われる。
やがて一行は、いずこともなく去って行き、
山頂は再び静寂に包まれた。

行列が通る時、錚錚と鳴っていたのは、
それぞれの翼だったという話だが、
やはり天狗の行列だったのだろうか。

(松浦静山『甲子夜話』より「阪本雲四郎・駒嶽に怪を見る事」



2人連れの飛脚が箱根を越えていた時。
真夜中に山頂の方から、
やかましいほどの人声が聞こえて来た。
不思議に思いながら進んで行くと、
山頂の芝が生えた部分に幕が張り巡らされ、
数人が宴会をしている様子で、
舞ったり歌ったりしているのだが、
その幕が邪魔で、前に進めない。
「しょうがない、あの人たちに断って、
幕の中を通らせてもらおう」

と、飛脚が中に声を掛けると、
「お通りなさい」
そこで2人が幕の中に入ると、
とたんに幕も人も消え失せた。
2人は驚き、そこを走って逃げたが、
しばらくして後ろの方から、
元のように騒がしい宴の声がしたので、
振り返って見れば、
また幕が張り巡らされていたので、
2人は飛ぶように逃げて行ったという。
世に言う天狗の仕業であろうか。

(松浦静山『甲子夜話』より「飛脚・箱根山にて怪異に逢ふ事」



寛政の末に、誠拙和尚という人が、
招かれて南禅寺に行った時、
その後ろの山から、
大勢の人が舞い歌う声がするのを、
寺の人たちが耳にして、
「きっと和尚様が来たのを、
天狗たちが喜んでいるのだ」


また、和尚がそこに逗留している時、
彼が草履を脱いで厠に入り、
用を足し終えて外に出ると、
いつも草履がきちんと揃えてあったので、
「これも天狗の仕業だろう」

そんなある時、
和尚が鉄鉢に飯を盛って仏前に供え、
さて一同と勤行に及ぼうとしたら、
置いたはずの鉄鉢がない。
これには誠拙和尚も大いに怒り、
僧侶の1人に命じて、
鎮守祠の前で香を焚かせ、
(寺を守護する護神を祭った祠?)
守護が疎かになっている旨を告げさせた。
すると、その日の内に、
和尚が泊まっている房の庭の籬(まがき)に、
消えた鉄鉢が載せてあるのが見つかったが、
その周囲には血痕が点々とあったため、
「天狗が護法神にお仕置きされたのだ」

(松浦静山『甲子夜話』より「誠拙和尚、南禅寺にて天狗を戒むる事」



※天狗の登場はありませんが、
本人がそのように言っているので……
なお、食事中の方は少し注意して下さい。


私が厩(うまや)で使っている下僕が、
天狗に攫われた事があると言うので、
直接会って話を聞いたところ、
現在56歳の彼が41歳の時、
3月5日の巳の刻ごろ、
(巳の刻=午前10時ぐらい)
江戸・両国橋の辺りで、
ふと気分が悪くなったきり、
前後不覚に陥ったという。
次に正気づいたのは、
同年の10月28日の事で、
信州・善光寺の門前に立っていた。
その間の事は全く覚えていない。
着ている服は変わってなかったが、
あちらこちらと破れており、
月代(さかやき)も伸び放題に伸び、
まるで禿(かむろ)のようだった。
(かむろ=遊女の雑用係をする少女。
今で言うおかっぱ頭をしていた)

幸いな事に、故郷の知り合いと偶然出会い、
江戸に帰って来る事ができたのだが、
それからというもの、
何かを食べようとすると胸が悪くなり、
米などの穀物を食べられないため、
仕方なく薩摩芋を食べていた。
すると大便をするたびに、
木の実のような物が一緒に排出され、
それが出なくなると同時に、
腹の中も爽快になって、
再び穀物を食べられるようになったという。

(松浦静山『甲子夜話』より「上総人足、天狗にとられ帰後の直話」



信州の大名の家臣・萱野某の話。
ある日、下僕に言いつけて、
大きくて浅い桶を作らせた。
それが出来て来ると、、
1石2斗のもち米で作った赤飯を、
(1石=10斗、1斗≒18リットル)
その桶の中に盛り、
新しい莚(むしろ)10枚を座敷に敷いた。
そして日が暮れるのを待ってから、
沐浴して身を清めると、麻裃に着替え、
家の人間に入らないように命じ、
たった一人で、その部屋に籠った。
家の者は、もしや乱心かと案じたが、
刃物を身につけていないので、
とりあえず見守る事にした。
すると夜も更けた頃、その部屋の方から、
30〜40人もの足音が聞こえて来た。
しかし、会話などは全く聞こえない。
やがて日が昇って朝になったが、
やはり部屋からは物音一つしないので、
恐る恐る主人の籠った部屋を覗いてみると、
赤飯は1粒もなくなっており、
人影どころか主人の姿も見えないので、
慌てて方々を捜し回ったが、
見つける事が出来なかった。
同じ藩に勤める親類に相談しても、
どうしてよいか分からない。
「とにかく、このまま現場を保存して、
役所に届けるしかあるまい」

そこで役人が、この家に来て調べたが、
当然ながら、何も分からない。
仕方なく、ありのままを領主に伝えると、
「真面目に勤務していた彼が、
脱藩したとは考えられぬが、
人知れず行方不明になったのは事実だ。
よって、萱野の家は断絶とする。
ただし、過去の勤務実績を考慮して、
その息子をもって新しい家を立て、
同じ禄高で雇用する」


やがて年が明けた正月元旦。
床の間に1通の手紙が置かれているのを、
その家の人間が見つけた。
見れば、消えた主人の筆跡で、
「私は今、愛宕山に住んでおり、
宍戸シセンと名乗っている」
「毎月24日には、絶対に酒を飲むな」
と、それだけしか書いておらず、
その後は、特に何の異変もなかったという。

(根岸鎮衛『耳嚢』より「天狗に成しといふ奇談の事」



※その服装が天狗っぽいので、
天狗ということにしました。


江戸・本郷の三河屋という質屋に、
長年まじめに勤務している、
50歳ほどになる老僕が、
ある日、同じ質屋に勤める者たちに、
「近々、この辺りに火事があるよ」
いきなり言ったので、同僚たちは大笑い。
ところが、その数日後。
本当に近所で火災が発生したから、
店の人間は大騒ぎ。
しかし老僕は落ち着き払って、
「この店に火が移る事はないから、
家財道具は、そのままで大丈夫だよ」

すると、やはり彼の言った通り、
火は数軒の家を焼いただけで鎮まり、
三河屋は全く無事だった。

こうして火事を言い当てた老僕だが、
夜、彼が寝ている2階の部屋から、
人の話し声がするという噂を聞いた主人が、
何がどうなってるのか尋ねたところ、
「名前も何も分からないのですが、
山伏のような人が時々来て、
いろんな話をして行くのです。
火事の事も、彼が教えてくれました」

なお、近辺に住む人によれば、
その辺りの屋敷では、
時々狸が悪戯をするらしいから、
あるいは老僕が会っている山伏も、
狸が化けた物なのかもしれない。

(根岸鎮衛『耳嚢』より「老僕奇談の事」



享保年間、下総・関宿であった話。
ある場所に、杉と松の大木が、
並んで立っていたが、
一夜明けて見てみたら、
二本の梢(こずえ)が結び合わされていたという。
天狗という奴の仕業なのだろうか。
以前、関宿に仕官していた人の話では、
その木は今も残っているそうな。

(根岸鎮衛『耳嚢』より「怪異之事」



水戸の城下に住む医者の息子は、
家業に励み、日々患家を回っていた。
ある日、いつものように道を歩いていると、
老いた山伏に呼び止められ、
「おまえは医業に励んで、感心な男だ。
そんなおまえに、伝授したい事がある。
明後日、何時に某町の川原へ来い」

言われた息子、とっさに承知と返事したが、
今まで見たこともない上に、
名前も住所も聞かなかったので、
「さて、どうしたものか」
と、家に帰って相談すると、
「そんな怪しい者の言うことを聞いて、
何かあったら大変だ」

親も妻も口々に反対したので、
約束の場所へ行くのを中止した。
すると、その翌日、
例の山伏と路上で出会い、
「どうして約束を破ったのだ」
「それが、かくかくしかじかで、
家の者に止められまして……」

「ならば、この明け方に同じ場所へ来い。
今度は約束を違えるなよ」

息子は家に戻ると、
再び山伏に出会ったことを話し、
「今度は行こうと思っている」
すると、今度は家族に親族も加わり、
「そいつは、世間で言う天狗に違いない。
絶対に行ってはならんぞ」

と強く言い聞かせたが、
どうも言うことを聞きそうにないので、
一同で息子を見張る事にした。
そして深夜を過ぎた頃、
見張りがウトウトし始めたすきに、
息子は家を忍び出て、
約束の場所へと一直線に向かった。
川原へ到着してみると、
すでに山伏は先に来ており、
息子に五寸ほどの大きさの、
桐で出来た小箱を渡した。
中にはいくつかの処方を記した、
一冊の本が入っており、
試しに丸薬を作ってみたところ、
その薬を求めて、周辺の町から人が集まり、
程なく息子の家は金持ちになった。
その後、ある患家に呼ばれた時、
入浴中に火災が発生して、
山伏に貰った本は、
影も形もなくなってしまったが、
なぜか箱は燃え残ったそうな。

(根岸鎮衛『耳嚢』より「水戸の医師異人に逢ふ事」



私の知人が話してくれたことだが、
江戸・小日向に住む小身の旗本の二男が、
どうしたものか、いきなり行方をくらませた。
突然のことに、祖母の嘆きは一方ならず、
思いつく限りを探したものの、
見つけることは出来なかった。
そんなある日、本郷の辺りで、
当の二男にバッタリと行き逢った。
祖母は嘆くやら怒るやらで、
「一体どこへ行っていたの!」
「ご心配をお掛けしたことは、
申し訳なく思いますが、
今は不自由を感じることなく、
日々の生活を送っております。
どうぞご安心ください。
家に帰ってお目にかかろうと思ったことも、
一度ならずありますが、
そうなると家族にも迷惑がかかるし、
私にとっても、いい事がないということで、
今日まで来てしまいました。
それでは、お別れいたしましょう」

そういう二男の袖を取って
「もう少しだけ」
と言う祖母に、
「それでしたら、今度の何日に、
浅草観音の境内にある、
念仏堂にいらしてください。
そこでお目にかかりましょう」

家に帰った祖母が、
外であったことを家族に言ったが、
「やれやれ、ついにボケてしまったか」
と、誰も真面目に取り合わない。
そして約束の当日。
「さあ、浅草へ行きましょう」
と、下僕を一人連れて念仏堂に来てみると、
そこに二男が現れて、
色々と話をした末に、
「これからは、決して探さないで下さい。
私も今は、何不自由なく暮らしています」

と言い残すと、二男の連れなのか、
念仏堂にいた二人の老僧とともに、
人ごみに紛れて見えなくなった。

さて、家に帰った祖母の話と、
一部始終を見ていた下僕の話には、
少しも違うところがなかったので、
「これはきっと、天狗という奴の仕業だろう」
ということに話がまとまり、
祖母もボケ扱いされなくなったという。

(根岸鎮衛『耳嚢』より「魔魅不思議の事」)



※ここには天狗は出て来ませんが、
他の本にある同様の話で、
「これは天狗のしわざか?」
と推測していましたので、
『天狗』の中に入れました。


江戸・小日向に住む水野何某の、
その祖父の代のことだという。
右筆をしている家臣が門前にいると、
(早い話が記録係とか書記)
一人の僧が通りかかり、
「今日、大事な書の会に出席するのですが、
あなたの手を貸して下さいませんか?」

「いきなり『手を貸せ』と言われても、
一体どうすればよいのだ?」

「大したことではございません。
ただ、三日の賃貸契約について、
『承知した』とおっしゃって下されば、
それでよろしいのです」

言われた右筆は、
(怪しい奴)とは思いながら、
「承知した」
ところが、仕事に戻ってみると、
『一』の字すら書けないではないか。
その様子を見た主人が、
「一体どうしたというのだ?」
「それが、かくかくしかじかで――」

そして約束の三日目、
件の僧侶がやって来て、
「おかげさまで、無事に過ごせました。
大したお礼も出来ませんが――」

と、懐から何かを記した紙を取り出し、
「万一、火災に見舞われたとき、
これを床の間に掛けておけば、
きっと火難を免れることが出来ましょう」

と言い残して立ち去った。
その報告を受けた主人は、
早速その紙を表装して、掛け軸にした。
右筆も、元通り字が書けるようになった。

その後、屋敷の近辺で、
何度か火災が発生したが、
例の掛け軸の効果だろうか、
一度も貰い火をせずに済んだが、
掛け軸を蔵に入れておいた時の火事では、
取り出して掛ける暇もなかったため、
住居は残らず焼けてしまった。
ただ、その蔵だけは大丈夫だったそうな。

(根岸鎮衛『耳嚢』より「怪僧墨蹟の事」


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天狗


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